常陸国から転封となった佐竹義宣の家臣として
出羽国秋田へ来たのが始まりです。
先祖は手先が器用で書道や篆刻などを
好む方が多かったと言い伝えられてます。
書道はただ字を書くのではなく、
筆と紙を通して
字に思いや感情を込めて書きます。
そのような文字に対する想いが脈々と受け継がれて
初代堀江重久の趣味である書道と篆刻を活かし
明治5年に堀江印舗を創業しました。
そして途切れることなく、現在を迎えております。


150周年記念キャンペーン
150年の皆さまのご愛顧に感謝いたしまして、特別価格の法人印をご用意いたしました。ぜひこの機会にお買い求めくださいませ。
法人用 黒水牛(芯持)
- 代表印(天丸)/サイズ:18.0ミリ
通常価格47,300円を
【感謝価格】 税込37,840円
※モミ革ケース付き

150年のホリエの歩み
- 1851
初代 重久(じゅうきゅう)
1851~1891
手先が器用で同僚に頼まれハンコを彫っていたため、それを生業とした。
- 1870
- 平民名字許可令
- 明治維新後、新政府は四民平等の社会を実現するため、名字を公称することを許可した。
- 1871
- 廃藩置県
- 秋田県(秋田市)・本荘県(本荘市)・岩崎県(湯沢市岩崎町)・亀田県(亀田町)・矢島県(矢島町)が発足された。
- 1872
- 秋田県庁開庁
- 旧久保田城本丸に開庁。
- 1872
- 堀江印舗 開業
- 佐竹家の家臣として仕えていた当時より趣味としていた書道や篆刻を活かす。
- 1873
- 印鑑登録制度
- 10月1日、太政官布告により署名と共に実印を捺印する制度を定めた。これを記念とし全日本印章業組合連合会が毎年10月1日を印章の日と制定した。
- 1875
- 平民名字必称義務令
- 苗字届け出の促進のため、すべての国民に苗字を名乗ることを義務付けた。
- 1878
二代 重久(金治)
1878~1936
大きく変わっていく時代の中、報知新聞の記者がきて撮影した写真。「人様の為に」を使命としお役に立つことが喜びだった。
- 1886
秋田町大火
川反四丁目から出火し、約五割が消失した。堀江印舗は大火のど真ん中にあったが、那波呉服店の用水池のおかげで奇跡的に残った。
「俵屋火事」
写真)焼け残った那波家の一部、左に曲ると川反
- 1889
- 秋田市発足
- 市制施行により秋田町全域をもって秋田市となる。
- 1897
- 堀江印舗移転
- 茶町扇ノ町(現 大町三丁目3番地)に移転する。
- 1905
三代 重久(栄)
1905~1957
昭和32年、県庁が火事になり、県庁業務が稼働しないことは地域の危機と不眠不休で彫刻、納品をした。「人のために尽くす」想いを貫き印章業の役割を全うした。
- 1909
- 秋田市役所新庁舎
- 1905年の全焼を契機に移転。土手長町上丁に完成する。
- 1932
三代 重久(利男)
1932~2013
高度経済成長期、激動の時代、日本全国を行脚し次の時代を見据え、伝統を引き継ぎながらも挑戦し続けることで新たな道を生み出した。
- 1937
- 堀江印舗 店舗新築
- 茶町扇ノ町(現 大町三丁目3番地)に移転する。
- 1959
- 秋田県庁新庁舎
- 1957年の全焼を契機に山王に新築移転。
- 1964
- 秋田市役所新庁舎
- 三代目秋田市庁舎が山王に完成する。
- 1969
- 堀江印舗 移転新築
- 山王二丁目に本店、店舗・工場を新設。
- 1973
- 株式会社 ホリエ
設立
- 1975
- 業務用無線導入
- 黄色い営業車、各車に設置。無線連絡で迅速にお客さまに訪問、要望にお応えする。
- 1983
- TVショッピング
- 開運印鑑をTVショッピングで、お客さまが安心して購入できるはんこ屋を目指す。
- 2017
五代 重久(知佐子)
1962~(2017年改名/女性初)
小学生の頃より家業が好きで店番・配達・ゴム印作りを手伝っていた。「働くことは人様に喜んでいただくこと。それが私の喜びです。」
- 2020
「桜はん®」商標登録
樺細工のはんこ 角館「八柳」さんとコラボし、伝統文化を活かした商品を提供。
「秋田ものがたり®」商標登録
樺細工のはんこ 角館「八柳」さんとコラボし、伝統文化を活かした商品を提供。